凍頂烏龍茶の伝説
西暦1846年、鹿谷郷より林鳳池が科挙に参加しました。当時の林鳳池は貧乏で渡航費用がありませんでしたが、凍頂名家林家の林三顯が資金提供をしました。見事、林鳳池は科挙に合格し故郷に錦を飾りました。
この時、林三顯の恩に報いるため、武夷山より36株の茶樹を持ち帰り、12株を林三顯へ贈りました。凍頂山で栽培された茶樹は気候、土壌があったのか生育が良く定着しました。そのほかの24株は生育に失敗したので、この時に持ち帰った株は林三顯が育てている株のみとなりました。
瞬く間にこの茶樹が凍頂一帯で栽培されるようになり大規模農茶園が各地にできました。現在、当時の茶樹がひと株、そのままの状態で現存しています。
私が伝説の茶樹を見に行ったときは林家直系の友人に連れて行ってもらい、実際に茶樹にも触れて歴史を感じました。しかしその傷みは想像以上にひどく、しっかりとした保護が必要だと感じました

茶壹福
最近では聞かなくなった伝説
長年、凍頂烏龍茶は「林家」がその元締めの地位を保っていました。しかし時代の変化とともに林家がその地位から追い落とされ、凍頂の伝説も打ち消されるようになったのです。最後の1本も林家時代には保護され、観光客もちらほらみられましたが、新しい体制はその地位を奪うため、伝説を否定し保護もやめてしまいました。そして現在に至るということなのです
1980年代から1990年代ごろまで最後の1本を大切に保護してきてましたが、時代の流れで消え去る運命とは世知辛い世の中になったものです。金儲けや権力闘争でなくなってしまわなければ良いのですが・・・

茶壹福
凍頂地区の変化
私がお茶を探し求めて鹿谷郷凍頂巷をめぐっていた時、茶園は青心烏龍種が多かったと思うのですが(当時は茶樹を見て品種がわかるほど詳しくなかった)、2000年代になると大地震の影響もあり茶園は一変。金萱種が多く栽培され、四季春種の栽培も多くなってきます
主力の青心烏龍種は杉林渓、龍鳳峡、番仔田、三層坪、大倫などの産地に移っていくのです。都市化による環境の変化が大きな要因。さらに大陸やベトナムなどの産地で台湾人が栽培した青心烏龍種の茶葉を凍頂で焙煎だけした偽装茶が横行してきました。しかも比賽で上位入賞など焙煎技術が物言う凍頂烏龍茶ならではの不法行為でした
これから凍頂烏龍茶が進む道はわかりません。個人的にはまっとうなお茶が生産されることを祈っています
茶壹福
凍頂烏龍茶にまつわる伝説とは、、、