日々台湾茶と戯れ、戯言をつぶやきます

台湾との出会い(10)

茶壹福

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林森大学?

1980年当時「林森大学」と呼ばれた場所がありました
南京東路、長安東路、天津街、新生北路に囲まれた一角で特に5条通り、6条通り、7条通りの林森北路をはさんだ地区をさしていました。日本統治時代に日本人街として発展した地域で、日本食飲食店や飲み屋が集中しており日本語がまかり通る場所として有名でした。時代の変化で飲食店と飲み屋が多く集まり、一種の歓楽街として栄え始まったころでした。

茶壹福

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酒家

ピアノバーやカラオケバーなどお酒が飲める場所はいろいろありましたが、長春路付近は「酒家」という高級台湾人向けのお店が集まり、林森北路付近は日本人向けのお店が集まっていました。日本語で楽しめるお店がほとんどだったことから日本人ビジネスマンはここに集まり仕事終わりの憩いの時間を過ごしていました。観光客はツアーバスなどで行く民権東路、民生東路の大きなクラブのような店がありました。
高級店になるとピアノ生演奏で歌が歌えたり、ホステスさんも日本語堪能な方が多かったと記憶しています。夕食が終わる20時半ごろから24時までの営業時間で通りには日本人があふれていました。ここでホステスさんと台湾華語や台湾語を学んだ人が多くいて、通称「林森大学」と呼ばれていました。

茶壹福

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このような店で酔い覚ましにお茶を頼むと「高山熟茶」「凍頂烏龍茶」がよく出ました。それなりにおいしいお茶で必ずホットでサービスされてました。冷たいお茶がサービスされることはなかったと記憶しています。当時はコンビニはなく飲料店もほとんどないころで、酔い覚ましにはお店でお茶とか咖啡とかがありがたかった。
周辺にはお土産屋と付近のお店用のお茶を扱うお茶屋さんが数軒ありました。このような店は日中から営業していたので、近くまで行ったときに顔出しして話をしながらお茶をごちそうになりました。今のような清香系の高山茶は少なく、熟茶が多かったのが印象的でした。当時は知識も経験も少なく、高山茶はこんなものなんだと認識していました

熟茶が多い中で清香系の文山包種茶、当時は「清茶」といわれて飲んでいましたが、これがおいしくてはまってしまいました。イメージで持っていた日本茶の茶葉とは形状もごっつく、香りも青いより華やかだったのが印象に残っています。仕事の関係でお茶屋さんより農會や茶農家に直接行くことがほとんどだったので、別視点でお茶を見ることができる店舗はよい経験になりました