日々台湾茶と戯れ、戯言をつぶやきます

日月潭紅茶

日月潭紅茶は台湾を代表する紅茶で、台湾紅茶を発展させました。

茶壹福

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日月潭紅茶の始まり

日本統治時代の1903年日月潭地域で紅茶の生産が始まったという記録があります。1936年、日月潭魚池郷に台湾総督府中央研究所魚池紅茶試験支所が設立され、紅茶の研究が本格的に始まりました。
台湾紅茶の父、日本人技師「新井耕吉郎」が中心となり、インド北東部アッサム地域から採取した種と台湾原種を交配させるなど、台湾栽培に適した品種改良が行われました。これがのちの台茶8號「阿薩姆種」(あっさむしゅ)です。セイロン式機械製茶技術の導入とともに生産量は増え、1939年には台湾紅茶輸出量9割以上を占め、台湾紅茶の代表となりました。

茶壹福

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戦後の衰退と復活

戦後、人件費の高騰などで紅茶輸出産業は衰退しました。一方、1959年「台湾農林公司魚池茶場」(現在の日月老茶廠)が設立され紅茶の日は消されることなく続いていました。しかし衰退の波は続き1970年代には斜陽産業として見向きもされない状態になりました。
1999年の九二一大地震が日月潭地域を襲い大打撃を受けましたが、政府、民間の支援で復興支援が行われることになり、紅茶産業にスポットが当たりました。ここから現在の日月潭紅茶復活がスタートしました

茶壹福

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復活のカギ

復活の一つのカギとなったのが「珍珠奶茶」タピオカミルクティーです。戦後ごろから飲まれている「泡沫紅茶」は日月潭で生産された「阿薩姆紅茶」をシェイクして作ったミルクティーで1980年代初め屋台飲料の代表でした。その後、台中の「春水堂」が1983年にミルクティーにタピオカを入れたタピオカミルクティーを販売開始、徐々に知名度を増してきました。台湾ミルクティーといえば「阿薩姆紅茶」、日月潭阿薩姆紅茶の需要が徐々に高まってきました。九二一大地震以降、紅茶生産の柱となりました。

茶壹福

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発展期に突入

発展期を支えたのが「紅玉紅茶」(台茶18號)です。1999年に発表された新品種である紅玉紅茶は阿薩姆種と台湾山茶の交配で生まれたお茶で、紅茶向きの品種として日月潭魚池改良場で開発されたお茶です。九二一大地震復興のシンボルとして政府、民間が力を入れて宣伝を行った結果、大成功。
スリランカウバ州で生産されるウバ茶の清涼感とインドアッサム茶の甘さが合いまった紅茶で台湾中に広まるのに多くの時間は必要されませんでした。日月潭紅茶といえば「阿薩姆」だったのが時間をおかず「紅玉」に置き換わり、紅玉紅茶が日月潭紅茶の顔となりました。

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この先どうなるのか?

現在、日月潭紅茶の名前で生産販売されているのは「阿薩姆」「山茶」「紅玉」「紅韻」が代表的な品種。さらに改良場が生み出した新品種「祁韻」。この品種は日本統治時代に大陸安徽省祁門から帝大教授「山本亮」が1936-38年に採取して魚池改良場で栽培し受け継がれてきた品種からの選抜種。ほかの紅茶品種とは異なり小葉系紅茶です。このお茶がこの先どのように発展するかは未知数です。

一概に日月潭紅茶といっても、いろいろな種類の茶葉が使われており、それぞれ香りも味も違います。自分好みのお茶がどの品種のお茶なのか試してみるのも楽しいですね。

近年では紅玉種から作られた「白茶」も人気茶として育ち始めてきました。
台湾紅茶の中でも日月潭紅茶はハイブランドで高額ですが、試してみたいお茶の一つです。