米騒動
平成米騒動って覚えていますか?
平成5年(1993年)に平成米騒動があったことを覚えていますか?
冷夏による大凶作となったコメは当時の需要に対して生産供給量が2割以上少なくなったことに起因するコメ不足でした。令和米騒動は自民党政府による生産調整という党害、政治屋害に対して自然災害でした。
スーパーなど小売店の店頭からコメが消えて価格高騰、令和米騒動と似た現象になりました

茶壹福
台湾にも大陸にもコメがあった
当時、台湾や大陸を中心として東南アジアを回っていた関係で現地のコメは日本ほど深刻でなかったことを知っていました。台湾から帰国するときは「蓬莱米」、大陸から帰国するときは短粒種の「貴州米」、ほかの東南アジアから帰国するときは「長粒種米」俗称タイ米を購入して持ち込んでいました。当時の手荷物持ち込みは今ほど厳しくなく、「植物検疫証明書」を購入国で取得、購入時の購入証明を添付して空港の植物検疫で検査を受けてOKという感じでした。持ち込み数量にも制限がなく毎回数十キロのコメを持ち込んだ記憶があります。
台湾蓬莱米は食味が良く人気でした。日本の炊飯器で普通に炊飯できるのも好評の理由だったのですね。大陸「貴州米」だけはほかの大陸米が不評だったのに対して好評でした。さすが酒処というべきでしょう。長粒種米は日本の炊飯器には合わず不評だったのを記憶しています。価格は信じられないくらい安かったことを覚えていますが、当時の資料が散逸してしまったので正確な金額はわかりません。

茶壹福
台湾の蓬莱米とは
日本統治以前の台湾コメ栽培は「インディカ米」でしたが、日本人の食味には合わず、日本品種の生育に取り組みました。台湾風土気候との相性、いもち病などの病気や害虫に対する耐性、栽培方法の工夫により日本種の生育が可能になりました。
台湾在来種との交雑種として「嘉南二号」や「嘉南八号」などの改良品種を100種以上開発しましたが、なかなか日本人好みの食味になりませんでした。その後、「中村種」「嘉義晩二号」など開発は進行していきました。
昭和2年、末永仁によって改良され発表された「台中六五号」はいもち病に強く食味も日本人好みであり台湾全土で栽培を推奨して広まりました。現在台湾で栽培されている「蓬莱米」は「台中六五号」の改良種であり、台湾全体の98%がこの蓬莱米であることはあまり知られてません。

茶壹福
台湾コメ産地
当時購入していたコメで評判の良かったのは太平洋側「宜蘭」「台東」「花蓮」と穀倉地帯「嘉義」でした。場所によっては2期作、3期作のように年2回、3回のコメ栽培をしていました。田植えしている横で稲刈りしてるのは普通の光景だったことを記憶しています。今でもこのように数度の栽培をしているのを見かけます。
嘉義は日本人技師「八田與一」によって作られた烏山頭ダムと嘉南大圳によって不毛の地といわれた嘉義の嘉南平原を穀倉地帯に変貌したことで知られています。この嘉南大圳整備によって蓬莱米の生産が一気に上がったことで、台湾食事情が好転したことは日本ではあまり知られてません。
品種改良やダム、水路整備によって台湾蓬莱米が普及し、今の台湾食文化につながっていくと思うと不思議な感覚を覚えます。インディカ米のままだったら今の台湾食文化は全く違うものになっていたと思います。
茶壹福
令和米騒動は現在進行形!