臺灣との出会い(1)
1980年1月仕事始めに上司に呼び出された、何かやらかしたかと・・・
上司から告げられたのはパスポート持ってるか?
はい持ってます
今週中に台湾に行け
こんな感じでバタバタと台湾出張が決まってしまいました

茶壹福
当時の台湾出張準備は
自宅に戻りパスポートを持って向かったのは「亜東関係協会」、1972年9月に中華民国と断交してからの台湾大使館相当窓口です。
こちらで訪問ビザの申請と発給のためです。数次ビザはなく1回限りのビザの申請、通常発給は1週間ですが会社関係者から連絡済みだったのか、窓口で名前を言うと別窓口に呼ばれ2時間ほどお待ちくださいと。台湾に行くのにビザがマストの時代です。
1時間半ほどでビザ発給されパスポートのスタンプを確認して完了、会社に戻り次は旅行会社に航空券発券のため訪問。
今のように簡単にチケットが取れる時代でなく、ディスカウントチケットなど無く簡単に予約できる時代ではありませんでした。しかも帰りの日程を決めず出発日だけが確定したチケットです。帰りはオープンチケット扱いで現地の中華航空事務所で予約してくださいとのこと。

茶壹福
何も決めてないままに出発
バタバタと帰国日が決まっていない出張日程でしたが、旧羽田空港国際線中華航空カウンターに並んでました。1978年に成田空港が開港し羽田国際線は中華航空だけ取り残されたように運行していました。ほかの航空会社国際線は成田新空港に引っ越しして1社だけのカウンター、簡単かつ便利に感じたのはなぜでしょう。羽田空港には赤い大鳥居があり、羽田東急が存在感を示していたころです。中華航空とはここから長いお付き合いになります。このころはマイレージなど存在しない頃でした。

茶壹福
何をすれば良いのか???
今では考えられないことですが、宿泊ホテルも、出張期間も決まっていないまま出発です。会社からの指示は売れそうなものを探して仕入れてこい、これだけ。予備知識ゼロのまま航空機に乗り込んだのでした。今日のホテルはどうするか?などと考えながら機中の人となりました。
会社から仮払いの現金と唯一所持していたクレジットカード、これからどうなるのか波乱万丈の台湾訪問が始まりました。持ち物は1週間分の着替えと日用品だけ。もちろん携帯できるパソコンなど存在しない時代です。クレジットカードも一般的ではなくハードルが高かった時代、現金が物言う頃でした。
まあ何とかなるだろうと、こちらも気楽なもの。ここから長い台湾とのお付き合いが始まるとも知らずに・・・
茶壹福
きっかけ