日々台湾茶と戯れ、戯言をつぶやきます

臺灣との出会い(4)

茶壹福

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当時の食費は

1980年の台湾、屋台で食べる食事の食費はどうだったのでしょうか。宿泊しているホテル周辺には屋台が多くあったので、夕食はもっぱら屋台巡りでした。麺料理が多く、乾麺、意麺、湯麵など知らない麺料理、湯青菜はなんじゃこりゃでした。例えば乾麺と湯青菜を注文すると10元、約65円でした。一番高い麺料理が「烏龍麺」、なんと鍋焼きうどんです。これが20元、約130円でした。スタート時は寒い時期だったので、烏龍麺フアンになったのは言うまでもありません。麺線もわからないながら注文して大好物になりました。超小粒の牡蠣がたくさん入って5元、約33円と激安おやつでした。

茶壹福

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ホテルの食事は

ホテルでは付属の朝食以外食べることは少なかったのですが、悪天候の時など食べることがありました。それなりにおいしい料理ですが、価格はそれなりに高く夕食一回で500元から1,000元くらいかかりました。安月給ではそうそう利用できる価格ではなかったので、路面店に飛び込むこともよくしました。
何の店か全くわからずに飛び込んでから周りを見回して指差しで注文するスタイルでした。

茶壹福

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食事との格闘

屋台やホテルだけではバリエーションが少なく、将来会社から上司が訪台したときに連れて行く店もわからない。知らない国で一人で食事する、ハードルが一気に上がった感じでした。そこで学習したことはメニューに書いてある商品名が同じでも店によって出てくる料理が違うということでした。「麻婆豆腐」はなじみのある料理ですから、メニューに見つけるとついつい頼んでしまいます。しかし四川料理、台湾料理、広東料理、湖南料理、北京料理などの提供される料理が違えば、全く違う味の麻婆豆腐が出されることも体験学習しました。

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変な日本人?

もちろん一回で食べられる品数は一人だと限られます。メインにサブ、スープにご飯、これだけ頼むと食べきれないことしばしば。隣のテーブルで食べてる料理を見ながら、あれは何だろうと好奇心いっぱいで覗き込んでる日本人。不審がられたり、面白がられたりしながらもこんな生活をしているうちに、一緒に食べるか?って誘われることが出てきました。終戦当時日本語教育を受けていた40代後半から50代以上の人は日本語世代だったので、日本語を喋りたいという人がいたのです。
戦後日本語は使われなくなり、占領政府から台湾華語を強要された世代の人たちは新しい言葉を強制的に使うよう指示されていました。国民党が不当占拠して台湾を治めていなかったら、今の台湾はどのような世界になっていたのでしょうね。

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当時、台湾に居住していた人は

蒋介石率いる国民党軍に帯同した支配階級である標準語を話す「外省人」約100万人が政府の実権を握り、台湾の財産を食いつぶした人たち。オランダ人統治前後、福建省の南部「閩南」から台湾に入植した台湾の大多数を占める「台湾人」は閩南語(台湾語)を話す。広東省北部から入植した一団は「客家人」といわれ客家語を話す集団。これらの大陸系の人が入植する前から居住していた「先住民族」、以前は山地人と呼ばれ、それぞれの部族によって違う言語を使っていました。
台湾で商材を探して巡るときにこの民族の違いは意識しないわけにはいきませんでした。山の中に入ると日本語がよく通じる人たちは「先住民族」、日本語が全く通じない人たちはほぼ外省人だということは後になって知ることになりました。