日々台湾茶と戯れ、戯言をつぶやきます

臺灣との出会い(5)

茶壹福

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1980年当時の交通事情は

仕事として台湾に行った当時の交通事情はどんな感じだったのでしょうか?今とは全く違う状況でした。

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1.タクシーとハイヤー

日本では考えられないくらいボロボロの車が走ってる、これがタクシーの印象です。中にはミラーがない、ボンネットが無くエンジンルーム丸見え、ドアが壊れ針金で縛ってある、床が抜けて道路が見える。このような車がガンガンはしいていました。
ドライバーに呼びかけるときは「うんちゃん」で通じ、ハンドルを握ると性格が豹変する、こんな感じの人が多かった。スピード違反、信号無視、一時停止無視、歩道走行など当たり前、歩行者は車をよけて歩くような車社会でした。ただ、オートバイがまだ少なかったのが幸いでした。行先の住所を漢字で書いて渡せば何とかなった、こんな時代でした。

ホテルで車を頼むと運転手付きのきれいな車が用意されます、料金が高いのを除けば快適でした。仕事の移動で使うには金額が最大のネックとなり、来客時などに限って使用することになりました。

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2.路線バスと長距離バス

台北市内は日本時代の政策だったらしいのですが、電車網ではなく路線バス網が張り巡らされてました。問題は行先は地名ではなく番号だったこと、停留所の車内案内はもちろんなく、降りる場所がわからないこと。乗車時、降車時、二段式は乗車降車の2回など運賃の支払い方法も複雑でした。料金は前もって回数券のようなチケットを購入、使うたびにハサミで切れ込みを入れる方法でした。冷房付きバスはコインを購入した記憶がありますが、定かではありません。
降車時、車内に張ってあるロープを引く、窓の下にある黒いベルト内に仕込んであるボタンを探って押す、声をかけるなど初心者にとって超難関の交通手段でした。しかし、雨天時にタクシーが捕まらないとき、バスが最後の手段となったこともしばしばありました。

台北から地方都市に移動するときは長距離バスが便利でした。金額が安い代わりに座り心地はよくなかった。台北駅付近や行天宮など特定の場所から出発しており、時間と場所さえ覚えてしまえば便利でした。降車場所は駅付近のバスターミナルや高速道路の出口付近など。降車するとタクシーがたくさん待機しているので、移動には困りませんでした。

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3.台湾鉄道

台湾鉄道は現在の台北駅と同じ場所から乗車できましたが、北側は台北後火車站といわれさびれた改札口でした。正面からの入り口がメインで切符は硬券だったと記憶しています。台北から基隆方面は地上列車で、今の捷運淡水線の地上部分を走っていました。中山駅や双連駅などの地上出口を出ると旧線路に沿って商店などが連なっているのが名残です。
台北駅から高雄駅方面、台北駅から花蓮駅方面まで自強号に乗って何度移動したことでしょう。今のように高速鉄道が無い時代の大切な移動手段でした。バスに比べて時間に正確だったことが強みでした。トイレもついていたので安心して弁当食べお酒も飲めました。

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4.航空機

日帰りや時間がない時に素早く移動する手段として航空機の国内線利用がありました。台北市内の松山空港から台中、高雄、台南、花蓮、台東などスポットで移動するのによく利用しました。予約しなくても当日チケットが買えたことも強みでしたが、国内線にもかかわらずパスポートが必須だったことだけがネックでした。今では考えられませんが松山空港でも30分前に行けば搭乗できたし、台中空港は10分前に到着しても搭乗できました。今では高鉄に押されて国内線利用客数は激減しています。

国内線衰退で遠東航空はコロナ時に運航停止、復興航空は2016年に運航停止となってしまいました。かつてお世話になった航空会社がなくなってしまったのも時代の流れです
国際線では日本アジア航空(日亜航・EG)が日本と台湾を結ぶ航空会社としてお世話になったのですが、数奇な運命をたどった航空会社です。田中角栄によって台湾と断交、大陸と国交、これによりJALの台湾路線が廃止され、苦肉の策でJAL関連会社としてEGが就航されたのです。この航空会社を知っている人も少なくなってきました。時代の流れですね。