臺灣高速公路
当時、台湾の高速道路は軍主導で整備されたと聞きました。兵役に当たった軍人が軍務の一環として従事したと言われてましたが、裏取りはしていないので真偽のほどは?です。
基隆から高雄までの高速道路は台湾南北をつなぐ大動脈でした、特に1980年に開港した桃園空港と台北市内を結ぶあたりは常時渋滞がひどかった。台北から高雄まで高速で走ると約400キロ弱、途中料金所が10か所ありました。料金は普通車定額で20元だったと記憶しています。大型車は50元だったかな。台北から高雄まで高速で走ると200元で行かれるということです。すごく安かったと記憶しています。
仕事で高雄の先まで行ったり、台中工業区、台南工業区など高速のほうが便利な時代でした。高鉄はもちろん開通してなく構想もない時代でした。移動は高速バスか台湾鉄道しかない時代に高速道路は有効な移動手段でした。

茶壹福
料金所渋滞
日本でも見られましたが、料金所付近になると渋滞が発生する。特に台北市内に向かうとき、桃園から林口を過ぎて長い下り坂を降りたあたりの泰山料金所は常に渋滞、夕方になると通過するだけで数十分などという状態でした。いち早く通過したい車は大型車用のゲートに向かい、50元支払って通過するという技を使っている車も多くみられました。
台湾のすごいところはかきいれ時である連休などになると、料金所を解放して無料にしてしまう技を使うこと。これには当時ビックリしました。日本ではしっかり稼ごうとするあまり、数十キロの渋滞を招くのが日常茶飯事だったから。なぜ日本ではできないのかと思っていました。

茶壹福
ETCの導入
香港の高速道路でETCがアーチ形になったころ、台湾では料金所が徐々にETCと有人に切り替わってきました。ETC料金をコンビニで支払い車の前面に貼っておくと通過できるタイプが多かったようです。
その後、アーチ形から通信タイプに切り替わりものすごく便利になり渋滞も少なくなりました。

茶壹福
大渋滞で飛行に間に合わない・・・
何もなければ渋滞込みで台北市内から桃園空港まで1時間程度、事故や工事などで渋滞すると2時間以上などということは常にあったので、飛行機出発4時間前には台北市内出発していました。それでもカウンタークローズ40分前に間に合わなかったことが何度かありました。
当時は日程を自由に決められる完全オープンチケットを使用していたので、ほかの航空会社に行きフライト変更して完了などということがありました。今のようにフレックスチケットではできない技です。羽田に戻るときは中華航空、成田でも大丈夫というときはその他の航空会社利用でしたが、どちらでも対応できたので便利でした。
いつの間にか高速使って桃園空港に行くのに時間を気にしなくなった、両脇にもう一本高架道路建設、開通したころでしょうか。その後、高速も別路線が開通したりと便利になりました。時代の流れ変化を感じます。

茶壹福
レーダー探知機
高速道路にはパトカーが路肩に停車してレーダー探知機でスピード違反取り締まりをしてました。パトカーによる追尾式取り締まりもありました。日本と取り締まり方式が同じだったため、日本のレーダー探知機が有効でした。当時はコンビニもなく自動ドアもなかったので、反応すると取り締まりとすごい精度でした。そんな1980年代でした。
茶壹福
1980年代の高速道路状況は?