評論家の功罪
評論家の功罪について私見を残しておきたい
評論家がいうことをそのまま100%信じてしまうのは危険なのかも
その時々でカメレオンのように豹変して言うことが真反対になっても知らんぷり、そんなこともあるんだと思いながら評論を聞く、読むなら問題ない。しかし妄信してしまい信者のようになってしまっては最悪なのかも。一貫して同じ主張を繰り返し、その根拠をしっかりと示すならまだしも、どこどこの国家機関が決めたことだからとアナウンスしてしまう危うさ。
文化大革命直後の大陸、それまでの文化はどこに行ったの?悲惨な光景でした。茶文化は失われ、茶は口に入ればいいんだ程度の扱いを直接見てきました。お茶つくりしていた人の大半は処刑され、地方に追放になった人たちがぎりぎり技術を継承していた・・・国家的犯罪でした。そこから50年弱、俺たちが決めたことが標準なんだと。自分たちに都合の良いように決めただけ、文化的背景などどこかに忘れ去られてしまった拝金主義国家。妄信したら危険だと警鐘を鳴らしたい。

茶壹福
評論家の妄言1
台茶18號はウンカがつかないから紅玉蜜香紅茶はない
評論家にこんなことを言われて批判を浴びたことがあります。実際どうなのでしょうか?台湾各地の台茶18號(紅玉種)茶畑を見て回ったことのある人ならわかります。お茶の害虫であるウンカは当然のように台茶18號も食害します。茶畑内にはウンカが飛び交い、食害にあった茶葉も多く見受けられます。ちゃんと茶畑を見て回ってから評論しなさい。
問題の本質は台茶18號のウンカ芽で作ったお茶は一般に言う蜜香ではなく奶香系の香りが出るのです。その程度は様々ですが、台茶18號の蜜香紅茶は奶香系の香りが主体となったお茶なのです。自分で試したこともなく、人からの伝聞を正しいかのようにアナウンスするなんて最低です。評論家による妄言といえます。

茶壹福
評論家の妄言2
花蓮瑞穂の数軒しかない農家が作った蜜香紅茶なんて
ましてやそんなところの比賽茶(コンテスト茶)なんて。と、揶揄するように馬鹿にした発言をしばしば目にしましたし、私も受けました。しかも大葉烏龍種で作った蜜香紅茶なんておいしいわけがないとまで。なぜ大葉烏龍種のお茶が比賽の頂点に君臨するのか、それはおいしいからですよね。ほかの品種で作った蜜香紅茶をどれだけの種類飲み比べたのですか?と。
そのおいしくないと評価したお茶がなぜ世界に広まったのでしょうか?台湾各地だけでなく日本でも大陸でも蜜香紅茶がなぜ作られるようになったのか。蜜香紅茶をどのような場所でどれだけの種類飲んだのか、まずそこを聞きたい。その時々に良いと評価された、比賽トップのお茶をどれだけの種類飲んだのか、花蓮瑞穂だけでなく、台湾各地のトップ入賞したお茶を飲み比べての評論をしなさいと。私は数千種類の蜜香紅茶を飲みました、でもまだまだ知らないことがたくさんあります。
なぜ、今頃になって手のひら返ししたのですかと。人からの伝聞をいかにもみたいな発言するのは害悪そのものです。口先だけの妄言は害を広めます。
大陸の常とう手段、標準です。こんなものをまともにすべて信じてアナウンスしてる時点でただの評論家です。金の亡者たちが自分たちに都合の良いように作った規格がすべて正しいなんて妄信するのは危険。評論するのに都合の良い資料ではあるが、内容をきちんと精査すべきである。そのアナウンスが正しいのなら、なぜ改定や新しい規格にすり替えるのでしょう。あの文革直後の茶業界はどんなに悲惨な状況だったのか、すべてなかったことにして、伝統のあるお茶だと宣伝する。実は文革後50年程度で生み出されたお茶なんだと、なぜ言わないのか。
評論とは清濁併せ吞むことで、これからの道筋を考え出す指標となるべき。自分と意見の合わないものを叩き潰すのはもはや横暴であって、評論ではないと考えています。自分たちの利益にならない人たちをつぶして利を得ようとする、まさに大陸人の手法、あきれ返ってしまいます。
もちろん、過去にも現在にも良いなって思う評論家はいます。尊敬すべき評論家の方もいました。一部の金の亡者みたいな評論家がお茶の世界をダメにしていくのは残念です。仲良し丸をやりたいなら、ほかの人を巻き込むのはやめてほしい。自分と意見の合わない人を強制排除して満足してるような評論家は害悪そのものです。
茶壹福
妄信するのは危険かも