青焼複写
1980年台湾業務出張命令を受けてから台湾と日本の二重生活に加えて、二拠点から世界各地(主にアジア)を飛び回るようになるなんて想像すらしていなかったサラリーマン生活。書類作りも激増しました、特に日本に送る書類のコピーを用意する必要があり、毎回2部作製するための時間を多くとられていました
当時、PCは据え置きの白黒画面、専用プリンターはドットプリンターで高価でした。もちろん海外生活で使える機器ではありません。ソフトも簡単な文書作成と表計算ソフト「マルチプラン」くらいでした。FAXは画質の荒いもので、コピー機能もなかったと記憶しています。写真はもちろんフイルムカメラ。当時書類複写は「青焼」と呼ばれた「ジアゾ式複写機」が唯一の手段でした。とはいえ高価な機械だったので、日本の会社にも1台しかなく、予約制で使っていました。台湾では取引先の1社だけ持っていたので時々借りて使っていました。通常はカーボン紙をはさんで複写して書類を作っていました

茶壹福
複写すると青い文字に・・・
「青焼」は文字通り複写すると青い文字になります、原稿に青インクを使うとその部分だけ複写されない不都合があるため、黒ペンで原稿を作る必要がありました。今でもそうですが台湾では黒ボールペンの使用は少なく青ボールペンが主流なのです。これには困りました・・・習慣の違いはこんなところにもあるのだと感じたのを覚えています。
青焼した書類はアンモニア系の独特な香りがあり、大量に積み上げるとにおいでマヒしそうなくらいでした。食品も扱っていたのでサンプル室と事務室を完全に分けて管理していたことを思い出しました。今のような白い紙にコピーできるようになったころ製品の会社名「ゼロックス」をコピーの代名詞として使用していた時期がありました。書類の複写するのにゼロックス頼む、などの言い方をしていました。懐かしいですね

茶壹福
事務機器の進化はすごい
当時の事務機器と今の事務機器はまるで別物、技術の進化とはすごいことです
台湾で取引先とかわす書類は青ペンで記入し、日本に送る書類は黒ペンで記入する、常時2本のペンを持ち歩いていました。今の3色ペンみたいなものが当時あれば便利だったのでしょうね。台湾で役所に提出する書類、銀行手続きの書類、会社間でかわす書類などほぼすべて青ペンでした。当時から日本との違いはいろいろありました。その国に入ればその国の習慣に従う、当然のことです。しかし頭の固い上司もおり、かき回され大変だった記憶が時々フラッシュバックします
外人であって害人にはならない、心の芯にしっかりと持ち続けることが他国での暮らし方の第一歩なのでしょうね
茶壹福
青焼複写って???