台湾のバス
1977年に始まった台北市聯営公車は公営、民営含めて1980年代には定着化し始めていました。
当時台北市長だった李登輝氏はバスの整列乗車を推進し、台湾人の公共マナー向上に貢献しました
雨天時はタクシーがほとんど捕まらず移動にはバスが便利でしたが、そのハードルはものすごく高かったことを記憶しています
当時紙の回数券をバス停近くで購入、20回で70元程度だったと記憶しています
バスを利用すると1回ごとにハサミを入れてもらうシステムでした

茶壹福
このバスはどこに行く?
当時バス停には路線図が書かれていることは少なく、番号が書かれたバスが走っている、こんな状況でした
インターネットなど無い時代ですから、知人などに尋ねたり教えてもらったりして少しづつ覚えました
一番初めに覚えたのが「203」会社連絡事務所やホテルの近くのバス停から士林に行くバス
このバス、士林夜市付近までは1段で切符1回分ですが、この先に行くと2段になり切符を2回切られます
乗車時に下車駅を告げると、2回分切られて札をもらい、降りるときに渡せばよいというシステムでした
捷運MRTが開通するまで、バスは生活に必須なツールでした

茶壹福
世にも恐ろしい
当時の台湾バスは世にも恐ろしいという表現がぴったりな交通機関でした。毎年バス内で死者やけが人が普通に出ていました。これは乱暴な運転に起因するもので、今では考えられないような事態です。急ブレーキ、急発進、急ハンドル、あおり運転など普通に行われていましたから。
当時台湾人はハンドルを握ると性格が変わると言われるくらい、乱暴になるのが普通でした。タクシーなども同様で信号無視やスピード違反、逆走や歩道走行など当たり前の世界だったのを思い出します。しかも整備不良車が非常に多く、バックミラーがないとか、ボンネットがついてないとか、足元に穴が開いてるなど普通のことでした
運転の下手な人はすぐいなくなるから、今は知ってる人はうまい人だけだなんて言っていた時代でした

茶壹福
バスを降りるとき
バスに乗るときは今も同じですが乗車意思を示して手を上げないと停まってくれません、では降りるときはどうするのか
日本の昭和時代は車掌さんが乗ってて声をかけると「次停まります」と運転手に声掛けしてくれましたが、台湾ではワンマン運行
声掛けすれば停まってくれますが、車内には停車鈴はなく窓枠上部にひもが渡してあり、これを引っ張るとベルが鳴って停まってくれます
紐がないバスは窓枠下部に黒いベルトが張り巡らされて、そこを探るとボタンがところどころにあり、そこを狙い撃ちするとベルが鳴る
本当に複雑で理解するまで何度も失敗しました
さらに次のバス停名の放送はありません、外の景色を見ながらこのあたりだったかなと停車鈴を鳴らすのです
初めての場所に行くときはこれが最大の難関でした、今どこを走っているのかが全く分からない、ではどこで降りるのか・・・困りました
人に聞くにも言葉の壁がドカンと立ちふさがり、手探りで覚えていった時代でした
今のように地図アプリで場所が特定でき、検索で行き方がわかる、翻訳アプリで言葉が通じる、便利な世の中になりましたが、冒険心は少なくなった気がします
茶壹福
1980年代、移動に便利なバス